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私のボランティア活動

 

伊 藤 美智子
(神戸市灘区)

 

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震災による被災者が、私の地区の鶴甲小学校と、並びの地域福祉センターに大勢(250 名ほど)避難してきていると聞いたのは地震の日から4日目頃だったと思います。 地震直後は、娘と2人で被災されたお友達の方々に食べ物を運んだり、昨年暮れから肺炎のため入院していた主人を退院させ、被害のなかった西区の長女宅に預けにいったりしていましたが、まさかこんな六甲山麓の方まで避難してきているとは、思いもかけぬ事でしたのですぐにセンターに行きました。そしてセンターを運営しているふれあい協議会のメンバーやボランティア希望の方達と組織的
に行動する体制も整って、救援物資の受渡しから行政との対応と皆一丸となり寝たきり老人の排泄物の始末から、被災したペットの世話まで、私たちのできる限りの事をし、夜の9、10時に帰宅する日が何日も続きました。
しかし被災者の人達も大変でした。何十人もの見知らぬ人達と、一つの部屋で寝食を共にするのですから、忍耐と思いやりの心が大切なのは分かっていてもやはり不平不満が少しずつ出てきて、私は聞き役、なだめ役、そして仲間はずれになった人をなんとかして皆さんと仲良くさせてあげるための潤滑油の役といつもの行政相談と全く同じで人間関係の難しさに公平心を根底におき、気をつけて接するよう努力しました。
そしてセンターが避難所の役目を無事終えたのは6月25日、地震の日より156 日、無休で風邪もひかず頑張れたのは一緒にやってきた若い人達のおかげと、蔭でいろいろ援助して下さったお友達があったからだと感謝しております。
最後に、学校の広くて暖房のない講堂と、冷暖房のある地域福祉センターにいた方との環境が違いすぎて、学校にいた被災者の方は気の毒でした。これからも、学校が避難所として存在するのであれば、是非冷暖房の設備をと願わずにはいられません。
なお、この震災で今まで新聞やテレビでしか見ていなかった自衛隊の活躍を目の当たりにして本当に頼もしく思いました。復旧作業の傍ら、給水車を地域内隈なく回して下さり、それまで運びにくい水を持って坂道や階段を昇っていた方たちは、本当に助かりました。 そして任務を終え撤退の日が近づき隊員によるお別れの演奏会があり、鶴甲自治会有志の感謝の寄せ書き、小学生たちのお礼の手紙を渡し、いよいよ信太山駐屯地に帰る日は、私たちボランティアで集めたお金で、隊員の方たちにメッセージ付きチョコレートを配り、私は一人ひとりと握手して、お別れしました。

 

 

 

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